
Check Point
Part.1 糖尿病患者でも低い眼科受診率 早期発見、早期治療なら高いQOVが期待できる
自覚症状なく、突然失明の危機にさらされる 糖尿病網膜症
Aさん(54歳)は東京下町・老舗八百屋の4代目。大量仕入れの大手スーパーに値段では太刀打ちできないが、鮮度の高い野菜を少量多品種置くことで根強いファンを獲得している。「おいしい野菜は食卓を豊かにする」が持論のAさんは赤字覚悟で関東近辺の農家まで買い付けにいくほど商売熱心だが、それだけに自分の健康には無頓着。「最近、目がかすむようになった」と眼科を受診したときにはこのまま放置すれば失明の危険さえある状態だった。Aさんの診断名は糖尿病網膜症。HbA1cは12%もあったが、眼科を受診するまで自分が糖尿病であることさえ知らなかった。
これは架空の事例だが、医療法人社団済安堂 西葛西・井上眼科病院医局長の田中宏樹氏によるとAさんのようなケースは、働き盛りで病院に行く機会の少ない人に多いという。高齢者はいろいろな理由で受診機会があり糖尿病が発見されることも多いが、働き盛りの人は仕事が忙しく、糖尿病を指摘されても症状のない眼科まで手が回らないのが実情だ。日本糖尿病眼学会や日本眼科学会などによる啓発活動により「目が見えなくなった」といって受診するケースは少なくなったが、「とくに自営の方は会社の健康診断もないので、糖尿病に罹患したことさえ知らずに網膜症が進んでいたという方は少なくない」と、田中氏は言う。
厚生労働省の2007年国民健康・栄養調査によると糖尿病が疑われる人は約2,210万人に上る。医師から糖尿病といわれた人の10.6%が糖尿病網膜症を合併していた。糖尿病網膜症はカメラでいえばフィルムに当たる網膜の血管が障害される病気だが(図1)、「糖尿病治療ガイド2016–2017」(日本糖尿病学会編・著)では糖尿病網膜症の病期をDavis分類により①正常、②単純網膜症、③増殖前網膜症、④増殖網膜症に分類している(図2)。単純網膜症は網膜内の血流が悪くなって毛細血管の一部がこぶのように腫れる毛細血管瘤や血管の壁から血液が滲みでて点状出血を生じる。増殖前網膜症は網膜の一部に虚血が生じ血管閉塞や網膜浮腫がみられる状態で放置すれば増殖網膜症に進行する。増殖網膜症は増殖前網膜症の段階で起こる虚血部分に血液を送ろうと新生血管が伸びてくる段階。新生血管はもろく出血しやすいので新生血管が破れて硝子体内に出血を起こしやすく、より悪化すると増殖膜により網膜剥離をきたすこともある。硝子体出血や網膜剥離が起きていなければ症状がないこともあるが、いつ失明してもおかしくない。悪しき生活習慣は血糖コントロールを悪くし、血糖コントロールだけでなく高脂血症や高血圧にも悪影響を及ぼし、これらは血管にも影響して網膜症の発症・進展に寄与すると考えられている。すなわち、糖尿病がなくても高脂血症や高血圧を無治療のまま放置すれば網膜症発症の可能性があるにもかかわらず、生活習慣病患者の眼科検診へのモチベーションは低い。
図1 目の構造

編集部作成
図2 糖尿病網膜症の病期と眼底所見

提供 田中宏樹氏
身体障害者手帳の交付状況をもとに視覚障害の原因をまとめた報告1)視覚障害の原因をまとめた報告によれば、2013年における糖尿病網膜症は視覚障害の原因の15.6%で2006年の19.0%より減っているが、その一方で失明してしまう患者も少なくない。糖尿病網膜症は早期発見と適切な治療によって失明が回避できるようになったため、患者の視機能回復への要求は高くなっているが、前述のAさんのように失明の危機にさらされている糖尿病患者も少なくないのである。
糖尿病網膜症の経過観察に欠かせない 糖尿病眼手帳
糖尿病網膜症の早期発見、早期治療で欠かせないのが定期検診である。網膜硝子体を専門とする田中氏は1日70人程度の患者を診察している。そのうち糖尿病網膜症の患者は10〜15人だという。
糖尿病の3大合併症(神経障害、網膜症、腎症)の1つである糖尿病網膜症は、散瞳薬をさしてから精密眼底検査を行うと網膜出血や硬性白斑、軟性白斑が認められ、進行すると硝子体出血や増殖膜なども観察できる。ただ、生活習慣病健診などで行われるポラロイド写真撮影による眼底検査では散瞳せずに検査をするので周辺部の病変は検出できないことが多いため注意が必要である。血管透過性亢進や血管閉塞などの網膜血管の循環動態を把握するためには蛍光眼底造影検査が有用といわれている2)。
糖尿病患者は教育入院時に合併症予防や早期発見のための定期検査の重要性を学んでいるが、厚労省が2002年に報告した糖尿病実態調査によれば約30%の患者が糖尿病になっても眼科を受診していない。10数年前の統計だが、現在でも、田中氏は「定期的に眼科を受診しない患者さまが多い」と感じている。未受診の理由として、糖尿病診断時に眼科を受診して異常がないと安心してしまう、自覚症状がほとんどないのでつい忘れてしまうなどといった理由が考えられる。
だが「糖尿病治療ガイド2016–2017」は、糖尿病患者は眼底検査が正常でも年に1〜2回の定期検査は必要としており(図3)、血糖コントロールが悪い期間が長くなればなるほど網膜症も進展する。「糖尿病における血管合併症の発症予防と進展抑制に関する研究」(JDCS)によれば、糖尿病と診断されて約8年で約30%が網膜症を発症するが3)、ここで注意しなければならないのは、糖尿病と診断されたのが8年前でも発症はそれよりも前であることが多いので、糖尿病網膜症も進展している可能性があるということだ。
図3 コンセンサスが得られている眼科受診間隔

日本糖尿病学会編・著「糖尿病治療ガイド2016-2017」を参考に作成
初診時に著明な高血糖があり、病歴も長いと推測されるときは、少なくとも1年間は2〜3ヵ月ごとの綿密な経過観察が必要だ。Kumamoto Study(2000年)4)は糖尿病網膜症の発症・進展を防ぐHbA1cの閾値を6.5%未満としている。英国のUKPDS(1998年)5)、米国のDCCT(1993年)6)でもHbA1cは正常に近いほど糖尿病網膜症の発症・進展は抑制されると報告しており、田中氏は