Check Point
Part.1 “群盲象を評す”合併症の個別評価から血糖・脂質・血圧を総体的にみる血糖・脂質・血圧を総体的にみる
HbA1cだけではわからない 病態が水面下で進行
日本糖尿病学会編・著「糖尿病治療ガイド2016-2017」によると、糖尿病は「インスリンの作用不足による慢性の高血糖状態を主徴とする代謝疾患群」と定義されている。インスリンは、膵ランゲルハンス島β細胞で生成・分泌され、門脈から肝に入って、肝静脈を経て全身の組織に送られる。インスリン感受性のある肝臓、筋肉、脂肪組織などの細胞膜上のインスリン受容体に結合し、ブドウ糖の細胞内への取り込み、エネルギー利用や貯蔵、たんぱく質の合成、細胞の増殖などを促進する。インスリンが体の組織で代謝調節能を発揮して、適切なインスリンの供給と、組織のインスリン必要度のバランスがとれていれば、血糖の恒常性は保たれる。インスリン分泌不足、またはインスリン抵抗性増大はインスリン作用不足をきたし、血糖値を上昇させる。インスリン抵抗性とは、肥満、運動不足、高脂肪食などが原因でインスリンに対する感受性が低下してインスリンの作用が十分に発揮されない状態をいう。
糖尿病には1型と2型があり、1型糖尿病は主に膵ランゲルハンス島β細胞の破壊・消失によってインスリン分泌不全をきたし、糖尿病を発症する。2型糖尿病はインスリン分泌能の低下をきたす体質的素因に加え、過食、運動不足、ストレスなどの環境因子によるインスリン抵抗性によって発症するが、その中でも、内臓脂肪型肥満が重要な役割を演じる。糖尿病治療の重要な目的は合併症の発症・進展の阻止で、そのために適切な血糖コントロールが必要になる。しかし、厳格な血糖管理による合併症の進展・増悪抑制効果は、今のところ確認されているとは言い難い。そうした中、海外でSGLT2阻害薬を用いて行われた臨床試験の結果が注目されている。エンパグリフロジンが心血管イベントに及ぼす影響を検討したEMPA-REG OUTCOME試験(2015年9月発表)のサブ解析(アジア人の2型糖尿病患者)から、エンパグリフロジン投与群はプラセボ投与群に比べ、複合心血管イベント(心血管死・非致死的心筋梗塞、非致死的脳卒中)のリスクが32%、心血管死のリスクが56%、全死亡のリスクが36%低いことがわかった。一方、2型糖尿病患者の心血管イベント、腎イベントに及ぼすカナグリフロジンの影響を検討したCANVAS試験では、カナグリフロジン投与群はプラセボ群と比べて心血管リスクが有意に低かった。さらに、カナグリフロジン投与群では、アルブミン尿の進行が27%抑制され、腎複合エンドポイント(eGFR40%低下、透析導入、腎疾患による死亡)も40%抑制された(2017年6月発表)。
東京慈恵会医科大学糖尿病・代謝・内分泌内科主任教授の宇都宮一典氏は「2つの試験結果で注目すべきは、SGLT2阻害薬投与群でHbA1c値が0.3%〜0.5%程度しか低下していないことです。このデータは、SGLT2阻害薬による心血管イベントや腎症進展抑制効果は、HbA1cでは説明がつかないことを示唆しています。現在解析が進められていますが、血圧、体重、脂質、血糖の総合的な改善効果によって合併症の進展が抑制されたということであれば、HbA1c一辺倒で講じられてきた糖尿病治療の見直しが必要です」と提唱する。
糖尿病合併症の鍵を握る メタボリックシンドローム
糖尿病合併症は、慢性的に続く高血糖に加え、脂質異常症や高血圧などの血管障害因子によって起こる、全身の血管系を中心とした臓器障害である。昨今、日本人で内臓脂肪型肥満が増え、2型糖尿病の病態が多様化している。内臓脂肪型肥満は、腹腔内の腸間膜などに脂肪が蓄積するタイプの肥満で、これに高血糖、脂質異常、高血圧など、動脈硬化の危険因子が加わった状態がメタボリックシンドロームだ。
メタボリックシンドロームはインスリン抵抗性によって起こる症候をまとめたもので、糖尿病の前駆病態とされている。しかし、インスリンは血管系の機能を直接維持しており、インスリン抵抗性状態では、既に臓器障害を生じている。一方、膵ランゲルハンス島β細胞が50%に減少して初めて高血糖をきたす。つまり、糖尿病と診断される以前から、メタボリックシンドロームによる臓器障害は進行しているということだ(図1)。このような病態が糖尿病合併症の本質であり、血糖だけを是正しても臓器障害が抑制されないのはこのためだと考えられる。
図1 糖尿病における血管合併症の成り立ち
提供 宇都宮一典氏
「これまで糖尿病合併症は、高血糖によって起きる症候群として考えられ、水面下のメタボリックシンドロームの対応については重視されてきませんでした。合併症を個別に論じるのは諺にいう“群盲象を評す”ようなもので、視野を広げて糖尿病の本態をとらえなおすべきです」と宇都宮氏は指摘している(図2)。
図2 糖尿病の血管合併症を起こさないためには
提供 宇都宮一典氏
メタボの腎障害+糖尿病の腎障害=糖尿病腎症
インスリン受容体は全身に分布していることが知られており、腎臓、眼、神経にも豊富に存在している。糖尿病合併症は全身のあらゆる臓器に起こり得るが、腎機能が低下して心血管疾患や脳血管疾患のリスクが増大する腎症は生命予後の点で重要な意味を持つ。糖尿病腎症は、メタボリックシンドロームによる腎障害に、さらに高血糖による腎障害が重なる複合的な病態と考えられる。
糖尿病性腎症合同委員会(厚生労働省)が2013年に作成した「糖尿病腎症病期分類(改訂)」では糖尿病腎症の進展は、糸球体濾過量(GFR、推算糸球体濾過量:eGFRで代用する)と尿中アルブミン排泄量(または尿たんぱく排泄量)を指標として第1期(腎症前期)から第5期(透析療法期)の5段階に分類されている(表1)。GFRが60mL/分/1.73m2未満は慢性腎臓病(CKD)に該当し、他の腎臓病との鑑別が必要になる。なお、糖尿病に関係するCKDはDKD(diabetic kidney disease)と呼ばれている。
病期 | 尿アルブミン値(mg/gCr) あるいは 尿蛋白値(g/gCr) |
GFR(eGFR) (mL/分/1.73m2) |
---|---|---|
第1期 (腎症前期) |
正常アルブミン尿(30未満) | 30以上注2) |
第2期 (早期腎症期) |
微量アルブミン尿(30〜299)注3) | 30以上 |
第3期 (顕性腎症期) |
顕性アルブミン尿(300以上) あるいは 持続性蛋白尿(0.5以上) |
30以上注4) |
第4期 (腎不全期) |
問わない注5) | 30未満 |
第5期 (透析療法期) |
透析療法中 |
- 糖尿病腎症は必ずしも第1期から順次第5期まで進行するものではない。本分類は、厚労省研究班の成績に基づき予後(腎、心血管、 総死亡)を勘案した分類である。
(URL:http://mhlw-grants.niph.go.jp/, Wada T, Haneda M, Furuichi K, Babazono T, Yokoyama H, lseki K, Araki Sl, Ninomiya T, Hara S, Suzuki Y, lwano M, Kusano E, Moriya T, Satoh H, Nakamura H, Shimizu M, Toyama T, Hara A, Makino H; The Research Group of Diabetic Nephropathy, Ministry of Health, Labour, and Welfare of Japan: Clinical impact of albuminuria and glomerular filtration rate on renal and cardiovascular events, and all-cause mortality in Japanese patients with type 2 diabetes. Clin Exp Nephrol 18: 613-620, 2014.) - GFR 60mL/分/1.73m2未満の症例はCKDに該当し、糖尿病腎症以外の原因が存在し得るため、他の腎臓病との鑑別診断が必要である。
- 微量アルブミン尿を認めた症例では、糖尿病腎症早期診断基準に従って鑑別診断を行った上で、早期腎症と診断する。
- 顕性アルブミン尿の症例では、GFR 60mL/分/1.73m2未満からGFRの低下に伴い腎イベント(eGFRの半減、透析導入)が増加するため、注意が必要である。
- GFR 30mL/分/1.73m2未満の症例は、尿アルブミン値あるいは尿蛋白値にかかわらず、腎不全期に分類される。しかし、とくに正常アルブミン尿・微量アルブミン尿の場合は、糖尿病腎症以外の腎臓病との鑑別診断が必要である。
【重要な注意事項】本表は糖尿病腎症の病期分類であり、薬剤使用の目安を示した表ではない。糖尿病治療薬を含む薬剤、とくに腎排泄性薬剤の使用にあたっては、GFR等を勘案し、各薬剤の添付文書に従った使用が必要である。
糖尿病性腎症合同委員会:糖尿病性腎症病期分類2014の策定(糖尿病性腎症病期分類改訂)について.糖尿病57: 529-534, 2014より一部改変
日本で2型糖尿病が増加している要因として、脂質を中心とする栄養摂取バランスの問題が指摘されている。糖尿病の食事基準では3大栄養素の推奨摂取比率は炭水化物が総エネルギーの50〜60%、たんぱく質20%以下、脂質20〜30%が推奨されている。糖尿病腎症の治療では食事療法が極めて重要であり、第1期、2期は一般的な糖尿病の食事基準に従い、第3期からたんぱく質(0.8〜1.0g/kg標準体重/日)と食塩(6.0g未満/日)の摂取制限を行う。腎機能が低下しGFRが45mL/分/1.73m2を切れば低たんぱく質食(0.6〜0.8g/kg標準体重/日)を考慮する。
だが、GFRが30mL/分/1.73m2未満となる腎不全期には、総エネルギー摂取量に目を向ける必要が出てくる。栄養状態を改善し、透析療法が導入される第5期を少しでも良い状態で迎えることがその後の予後に大きく影響するからだ。「腎不全期にはたんぱく質と食塩を減らし、炭水化物と脂質を増やして、エネルギーが低下しない食事指導が行われることが望ましい。腎症の病期によって、各臨床指標の意義が変わり、治療目標の再設定が必要になります」と、宇都宮氏は腎症を巡る治療目標の変化のポイント(図3)を説明する。
図3 糖尿病腎症のステージによる治療目標の違い
提供 宇都宮一典氏
日本透析医学会の2015年末の統計によると、慢性透析患者数は324,986人(前年比4,538人増)で、この年に新たに透析を導入した患者は39,462人だった。透析導入の原因疾患で最も多かったのは糖尿病腎症で43.7%(前年より0.2ポイント増加)を占めた。糖尿病腎症患者の透析導入後の5年生存率は約60%で、他の疾患と比べても予後が不良で、死亡の原因は心不全と感染症が多い。
「平成26年度国民医療費の概況」(厚生労働省)によると、糖尿病の医療費は1兆2,196億円で、国の財政を圧迫している。厚生労働省は事態を重く受け止め、2016年4月に「糖尿病性腎症重症化予防プログラム」を策定した。市町村、自治体が主体となって取り組む同プログラムは、国民健康保険加入者を対象としてレセプトや特定健診の各種データから糖尿病腎症重症化のハイリスク患者や、糖尿病の治療を中断している患者をスクリーニングして受診勧告を行い、国民の健康寿命の延伸、医療費の適正化を目指している。
重症低血糖で高まる認知症リスク
高血糖、脂質異常、高血圧などが長期間続くと全身の血管が障害され、組織の変性や臓器の機能障害をきたす。細小血管が障害されて生じるのが糖尿病腎症、糖尿病網膜症、糖尿病神経障害で、大血管が障害されると冠動脈疾患、脳血管障害、末梢動脈疾患(PAD)などの動脈硬化性疾患の発症につながる。
糖尿病網膜症
初期には網膜の血管壁細胞の変性、基底膜の肥厚による血流障害などによって、出血、網膜浮腫などの病変が見られる。進行すると黄斑症に至り、網膜や硝子体内に新生血管が生じるようになる。そのため、硝子体出血や網膜剥離によって視力障害が起きる。さらに血管新生緑内障になると失明する可能性が高い。初期は血糖コントロールや高血圧に対する内科的治療で進行を遅らせることも可能だが、進行すれば眼科での治療が必要になる。
糖尿病神経障害
主に両足の感覚・運動神経障害、自律神経障害が生じる多発性神経障害と突然に単一神経麻痺が起こる単神経障害がある。進行すると知覚が低下し、足潰瘍・壊疽の原因になる。神経障害性疼痛に対してはセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(デュロキセチン塩酸塩)のほか、抗けいれん薬や三環系抗うつ薬などが使われる。
糖尿病足病変
足趾部の爪の白癬症から、重症の足潰瘍・壊疽まで病態は幅広い。重症例では、多発神経障害のほか、PAD、微小循環障害などが生じる。高血糖によって創傷の治癒は遅延される。日常的なフットケアが重要であり、痛覚の鈍麻した神経障害がリスクとなる。
歯周病
第4の合併症ともいわれる歯周病は歯周病菌の感染によって起きる歯周組織の慢性炎症である。糖尿病患者では歯周病が重症化しやすい。重症化するほど血糖コントロールが不良になるという悪循環が生じる。歯周病の治療で慢性炎症が改善されると、インスリン抵抗性が軽減される。
がん
日本糖尿病学会と日本癌学会の共同研究で、糖尿病は大腸がん、肝臓がん、膵臓がんのリスク増大と関連していることが報告された。そのメカニズムとしてインスリン抵抗性とそれに伴う高インスリン血症、高血糖、炎症などが考えられる。食事療法、運動療法、禁煙、節酒はがんリスクの低減につながる可能性があるとしている。
認知症
高齢の糖尿病患者は非糖尿病者に比べてアルツハイマー型認知症、脳血管性認知症のリスクが2〜4倍高いといわれる。高齢の糖尿病患者の認知症は糖尿病のコントロールを悪化させる。また、重症低血糖は認知症の発症リスクを高める。
高齢の糖尿病患者では低血糖の症状を自覚しにくく重症化しやすい。さらに、CKDや貧血があると正確なHbA1c値を把握しにくい。そのため、HbA1c値だけでは低血糖のコントロールは困難なこともある。高齢糖尿病患者の重症低血糖を避けるために、低血糖を招きやすいインスリン製剤やSU薬などの使用状況や、併存疾患の有無、日常生活動作(ADL)、認知機能などに応じて、コントロール目標とするHbA1c値が設定されている。高齢患者では低血糖によって、認知機能障害や生命予後の低下をもたらす危険性があることが指摘されており、HbA1c値に下限が設定された。
「高齢者ではHbA1c値を7%未満にコントロールすることで、心血管疾患の発症率や死亡リスクを下げるというエビデンスはありません。また治療に関する統一基準も確立されていません。高齢の糖尿病患者の治療目標の第一義は合併症の抑制ではなく、健康寿命の延伸で、筋肉量の減少、筋力の低下を防いでフレイルに陥らないようにするための食事指導や血糖管理が重要になります」と宇都宮氏は強調する。
糖尿病合併症は慢性的な多臓器不全
糖尿病合併症の検査・診断はさまざまな方法(表2)で行われるが、インスリン抵抗性を早期にスクリーニングするためには、まず肥満、特に内臓脂肪型肥満に注目し、早期に介入する必要がある。日本人は同じBMIでも欧米人より内臓脂肪がたまりやすく、脂肪肝にもなりやすいといわれている。
網膜症 | 眼科医に依頼:視力検査、眼底検査、細隙灯検査、 光干渉計検査、蛍光眼底検査、視野検査 |
腎症 | 尿中アルブミン排泄量(随時尿;mg/g クレアチニン、24時間尿;mg/日)、尿蛋白(定量)、クレアチニン、尿素窒素、Ccr、eGFR、シスタチンC |
神経障害 | アキレス腱反射、振動覚検査、触覚検査(モノフィラメントなど)、末梢神経伝導検査、心電図R-R間隔変動、起立時血圧変動など |
冠動脈疾患 (心筋虚血) |
心電図(安静時、トレッドミル運動負荷試験、ホルタ一心電図)、心エコー、MDCT、タリウム心筋シンチグラフィー、冠動脈造影 |
脳血管障害 | 頸動脈聴診、頸動脈エコー、頭部MRI・MRA、頭部CT、脳血流シンチグラフィー |
末梢動脈疾患 (PAD) |
下腿ー上腕血圧比(ABI)、脈波伝播速度(PWV)、下肢動脈エコー、MRA、下肢動脈造影、皮膚灌流圧(SPP) |
足潰瘍・壊疽 | PADの検査、神経障害の検査、感染部細菌検査 |
日本糖尿病学会編・著「糖尿病治療ガイド2016-2017」を参考に作成
糖尿病合併症は、インスリンの作用不足によって起こる一連の症候群による臓器障害であり、同時多発的に起こっている。宇都宮氏は、あらゆる臓器が慢性的かつ同時的に障害されることから、糖尿病合併症を慢性的な多臓器不全と位置付け、「特に、内臓脂肪型肥満がある場合は包括的に血管病態をみていく必要があります。糖尿病が発症してから合併症の対策を考えていたのでは遅きに失することになります。高血糖だけでなく、高血圧、脂質異常についても糖尿病合併症を視野に入れた服薬指導を心がけることが大切です」と助言している。