2024年1月1日16時06分~6日23時20分にかけて発生した「令和6年能登半島地震」。1月~3月にかけ、全国より4,701名の薬剤師、1府10県2市より13台のモバイルファーマシーが派遣され、災害支援にあたった。2024年4月30日をもって災害救助法に基づく薬剤師活動は収束となった。今回は能登半島地震における薬剤師会の活動を紹介する。
発災からの災害対策本部の動き 迅速な情報収集で支援内容を定める
石川県薬剤師会副会長の柏原宏暢氏は、能登半島における石川県薬剤師会の活動報告として、発災直後より設けられた災害対策本部の活動を報告した。
発災翌日の1月2日午前中に石川県薬剤師会災害対策本部が立ち上げられ、緊急のWeb会議で情報が収集された。本部員は、3日に県薬剤師会事務所に集合、本部として本格的に活動を開始した。
活動組織として、石川県薬剤師会(県薬本部)、日本薬剤師会(日薬本部)、日本病院薬剤師会、石川県保健医療福祉調整本部、石川県庁健康福祉部薬事衛生課、厚生労働省などが参加。柏原氏は、同日の会議では「薬局・病院・診療所の被害状況、それによる医療提供の継続可否、県薬がどこまで支援できるか、などを確認する必要がある」として、今後の取組みに向けた情報収集の方向性を定めたという。翌1月4日に実施された現地視察を踏まえ、支援内容が協議された。そこで、①避難者に応じたOTC医薬品の配布、②避難者を必要な医療に繋げる、③災害処方箋への対応、④避難所と病院への薬剤師を派遣、などが決定した。
組織の役割分担と情報の整理と選別 支援者が活動しやすいツールも提供
柏原氏は県薬と日薬の役割分担を以下のように示した(表)。
担当 | 主な業務 |
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県薬本部 |
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日薬本部 |
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柏原氏の報告資料より作成
災害時に現場で活動する薬剤師と本部との調整役となる「災害薬事コーディネーター」は欠かせない。石川県庁に設けられたDMAT調整本部内の薬剤師や、珠洲市や輪島市などの現地本部に詰める薬剤師が災害薬事コーディネーターを務めた。また、柏原氏は、県薬剤師会本部の薬剤師が災害薬事コーディネーターとして県庁の薬事衛生課と密に連携を取ったと話す。
また、収集した情報、発信した情報などを時系列に記録する「クロノロジー」(クロノロ)を作成し、情報の整理に努めたという(写真1)。クロノロ情報は速やかに電子化し、Googleドライブで共有するよう徹底。さらにクロノロ情報は、担当者が内容を確認し、【例】に示すように、当日中に対応すべきと判断したものは、「本日のミッション」として本部に詰めている薬剤師に割り振った。一方、「1日で解決できない継続的かつ難易度の高い課題は、県薬役員で共有、協議して対応した」と対応の順位づけの重要性も語った。
OTC医薬品の配送システム、宿泊所の確保、レンタカーの確保、ボランティア薬剤師の管理
ボランティア薬剤師の確保、保険医療体制のオペレーション、現地対策本部との情報共有
一方、日薬は都道府県から駆け付けた支援チームの管理、対応に当たったという。図1は、日薬が支援チーム向けに配布に渡した案内だ。支援拠点や基本的な支援内容のほか、本部との情報伝達・共有、活動報告の作成などに利用するツールにリンクする二次元バーコードを掲載し、支援者が活動しやすいよう情報がまとめられている。
移動時間、避難者数、生活状況の把握のほか地域特性の情報も支援者に有用に
おもな活動地域は珠洲市、輪島市、能登町、穴水町など(図2)。日薬の現地本部は、羽咋市の柴垣に設置された(柴垣本部)。
県薬は、支援チームに対し、派遣先までの車での所要時間を情報提供した。柏原氏は、「震災直後は、柴垣~珠洲市まで朝6時発で3.5時間。9時発では9時間」など、出発時間で大きな差があることも補足したという。支援チームにとっては有用な情報になるだろう。その他、地域ごとの被災状況を一覧にし、避難所数や避難者数、断水状況、トイレなどの生活状況についても情報提供した。
また、柏原氏は「能登は方言がきつく聞き取りがたい」