自身も患者になって感じたことや患者さんとの関わり方、理想の地域緩和ケアのあり方についてお話を伺った。
ステージ4の肺がんと判明 家族と周囲の支えで気持ちを切り替える
2019年10月、体調不良を感じて胸部CTを撮影したところ、肺腫瘍が発見されました。その後の精密検査の結果は、ステージ4の肺がん。大脳・小脳・脳幹にも転移があると判明した時は、はじめは頭が真っ白になり、「もう長くはもたないな」と感じてしまいました。当時は、まだ長女が小学校3年生で、長男が幼稚園生。せめて2人の大学卒業までは、妻子が路頭に迷わないようにするにはどうしたら良いかということばかりを考えていました。
家族や職場の同僚は、とにかく治療に専念するようにと私を支えてくれました。私の病状を知った友人や知人、後輩が連絡をくれて時には泣いてくれたりと、多くの人が心から私を案じていると感じられるようになってから、「死ぬまでは生きるのみ。身体が動く限りはやりたいことをやろう」と思えるようになりましたね。病状が判明してから1ヵ月くらいでそういう風に気持ちを切り替えるようになったと思います。
半年で二次治療に変更 恐れるのは脳転移巣の拡大
10月下旬から脳転移巣への放射線治療と分子標的薬の導入が始まりました。12月の初めての再評価では、肺の原発巣も脳の転移巣もかなり小さくなっていました。そこで、少し希望が持てたので、2020年1月に「これが人生最後かな」と思いながら、家族と行きたかったスキーに行きました(その後、治療の効果もあり、2021年もスキーには行けましたが)。
12月の再評価結果が良かったので、このまま一次治療で状態を維持できるのではと思いましたが、半年後に脳の転移巣が大きくなり、髄膜播種などの危険性も鑑みて2020年6月に二次治療に変更しました。一度、希望を抱いた分、悪化した際にはより落ち込みました。妻と泣きながら「今までありがとう」と言い合ったこともあります。
私が恐れているのは、肺の原発巣よりも脳の転移巣です。脳の方が少しでも大きくなると、神経症状や意識障害の発生、自分の性格が変わってしまい、自分が自分でなくなってしまうのではないかと非常に怖くなります。
職場のサポートにより治療と医師業務を両立
私は現在も、当院の外来・在宅訪問業務を続けながら、3週間に1回の抗がん剤治療を受けています。当院の患者さんは主にがん患者さんで、常時60〜70名程度の患者さんを抱え、私と現役医師である母(関本雅子氏)、非常勤の医師3名の計5名で、毎日十数名の患者さんを訪問しています。身動きが取れなくなってくる最終段階の患者さんの場合、当院が運営する看護ステーションと連携して連日訪問することもあります。
仕事と治療を両立するうえで、職場の理解とサポートは本当に有難いものです。私の場合、抗がん剤投与後4、5日目あたりが辛いので、その際は他の医師や母が私の訪問分をいくらか代わって対応してくれています。
自身のがんをきっかけに患者さんと本気で一喜一憂
自分ががんと判明してから、患者さんには初回面談時に「私もがん患者です」に伝えるようにしています。私はがんになったことで、患者さんとより魂を込めて一喜一憂できるようになったと思うことがあります。患者さんから「今回の抗がん剤は効いていたわ」と聞けば、我が事のように喜び、「もう効果がみられないかもと言われた」と聞けば、我が事のようにやり切れない悲しい思いになります。その思いは、患者さんにも「先生も本気で思っているんだ」とポジティブに伝わっているように感じられます。
私は当院で勤務する前は、緩和ケア病棟で勤務していた経験もあり、常に患者さんと一緒の方向を向き、一緒の風景を見ているつもりでした。患者さんを自分の家族のように思って対応していましたが、やはりがんの当事者ではなく、自分事になり切れていなかったのではないかと思います。がんになって悪い事ばかりではありませんでした。いま患者さんと本気で一喜一憂できることは、ある意味で病気がくれたプレゼントといえるかなと思っています。
薬剤師との連携で病院と同等の薬剤コントロールを実現
何度か一緒に仕事をするなかで、1,2店舗の薬局と連携が強くなりました。薬局はお薬カレンダーの貸出や次回の医師訪問までの薬のセットはもちろん、繋がりが深くなると、処方パターンから私の意図を読み取ってくれるようにもなりました。
薬剤師さんは私たちの「もう一つの目」となってくれます。私や看護師が訪問時に薬の仕分けをし、薬を一部変更などした際に、患者さんが私たちに言い忘れていたことや「この薬は飲みたくなかった」といった呟きをあとで薬を届けに来た薬剤師さんにこぼすこともしばしばです。薬剤師さんはこうした声を拾い上げて、すぐに連絡用のSNSや電話などで報告してくれます。
医師と看護師、薬剤師の連携がうまく取れるようになると、一般病棟に入院しているのと同等、時にそれ以上にしっかりとした薬剤コントロールができるようになります。薬剤師さんの介入によって、患者さんが薬剤コントロールの質の向上を実感する場面にも出会ってきました。これは薬剤師さんにとっても自信に繋がることでしょう。
患者さんと関わるうえで、薬剤師さんに最も求められるのはコミュニケーションのスキルです。きちんと説明をして欲しい方、細かい説明は不要で「お任せ」の方。患者さんのタイプはさまざまで、始めのうちはそれを見分けるのは難しいと思います。特に薬剤師さんは患家に一人で伺うことも多く、患者さんと打ち解けるのも大変ななか、その雰囲気に飲まれない芯の強さと、踏み込み過ぎて患者さんのストレスとならないよう配慮するバランスが求められます。患者さんに負けない心と勝ってしまわない心、両方が必要なのです。
お互いの理解を深め、信頼と共感できる関係作り
私は患者さんとの初回面談は、1~1.5時間程度をかけて行います。始めは病歴の確認や診察を行い、徐々に相手のタイプ、自分語りをしたい/したくない方か、立ち入って欲しい/欲しくない方かなどを見極めていきます。患者さんが少し慣れた頃に、大事な趣味や宗教の話、今後の療養場所は家が良いか、ホスピスのような病棟が良いのかなどを伺います。こうした会話を通して、患者さんが私に「人生の最期を預けても良いかな」と思ってもらうのが1つのゴールです。
また、私も患者さんのことをよく知りたいと思っています。多くの在宅医は、休日・夜間を問わず対応し、自分の時間を患者さんに費やしています。この人のためであれば、午前2時に電話がかかってきても駆けつけようと思えるぐらい、患者さんとの共通点をいかに多く見つけ、共感し、好きになれるか。これは面談における私の影のテーマです。
治療から緩和ケアへの切り替え 患者さんに合わせて薬を整理
今までの治療から緩和ケアに切り替えるにあたり、薬を整理します。その際、患者さんには「薬は少ないに越したことはない」、「今後、副作用や飲み合わせが心配な薬は除きます。使える薬は残すし、これから必要になる薬は追加時にちゃんと説明しますね」と伝えます。初回に一気に整理する患者さんもいれば、前任の治療医への信頼が厚く、 後任として現れた私が急に薬を変えてしまうことに不快感を示す患者さんもいます。その場合は、患者さんの様子見ながら数回に分けて整理をします。薬を整理するタイミングも、患者さんを見て対応していかなければいけません。
真意を知り、適切な言葉で安心感を
患者さんに生命予後を尋ねられることがありますが、生命予後は、あくまで統計学的な集合知であり、予測でしかありません。患者さんに「もう短いのでしょう」、「あとどれぐらいでしょうか」と問われた際には、「家族に何か大事なことを言えていない、または今のうちにやっておきたいことがあるから、そんな事を聞くのですか」と質問で返すようにしています。ほとんどの場合、明確な返答はなく、ただ大丈夫だと言って欲しい方が多いのです。その後に「命の長さは誰にもわかりません。わかるのは神様くらいですかね」と言い、さらに「もし『今までありがとう』や、ちゃんと言えていないことがあれば、今のうちに伝えた方が良いと思いますよ。人生最期の1,2週間はぼんやりしてしまうことが多いので」と。
死に対する不安や恐れで、患者さんの気持ちは揺れ動きます。その様子を見て、患者さんにどんな声掛けをしたら良いかわからないと家族から相談されることもあります。金言のようなものはありませんが、私は講演などでデンマークの哲学者、キェルケゴールの「助け人自身が、助けである」という言葉を紹介しています。「患者さんは、心配してくれていること自体を求めているのであって、何か気の利いた言葉を期待しているわけではないと思います。自分のしんどいとか、辛いという思いを聞いて貰えることがとても大事。ただ家族がおろおろと心配してくれている姿だけでも十分、ご本人の助けになると思いますよ」。
地域の医療資源を柔軟に選択し、理想の地域緩和ケアを目指す
患者さんが、病院志向か在宅志向かというのは必ずあると思います。病院であればナースコールですぐ駆けつけてくれるのに、在宅医は来てくれない―病院と同様の対応を在宅に求め、それが患者さんや家族の負担となっている場合は、無理に在宅で看取るのではなく、病院の方が良いのかもしれません。私が目指す「地域緩和ケア」は、病院を含めた地域の医療資源を活用し、患者さんや家族が良かったと思える選択肢を提供することです。
私の暮らす神戸は、治療施設、在宅緩和ケア、緩和ケア病棟と地域の医療資源が充足しており、患者さんは最期の場所を選びやすい環境にあります。ただ、自身の最期のイメージをしたくない、あるいはできておらず、いざという時に慌ててしまう方もいます。患者さんが落ち着いている時期から、どの医療資源を使い、どこを最期の場所とするか考えるよう緩和ケア医が促す。それに応じて適切な医療資源に振り分けるといったことが整備されれば、神戸は世界に先駆けた地域になるのではないかと思っています。
がんの場合、これらすべての医療資源を使う可能性があります。在宅を選んでも、放射線治療を受ける際は治療施設に行く。緩和ケア病棟で看取り切ると思ったが、意外と楽になったから在宅に戻る。家で最期を迎えると思っていたが、家庭での対応が難しくなったため緩和ケア病棟に行く。患者さんの状況に応じて地域の医療資源を柔軟に選択し、繋げることも地域の緩和ケア医の役割だと思っています。
「医」と「薬」をキーワードに、編集部が選んだ一冊をご紹介
がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方
発売:2020年8月
発行:株式会社宝島社
価格:1,320円(税込)
224ページ、四六判
43歳、ステージ4の肺がん、脳への多発転移。
本書には1,000名以上の看取りを行ってきた緩和ケア医の関本氏が、自身もがん患者となった際に改めてがんに向き合い、患者としての悩みや緩和ケア医師としての軌跡、そしてこれからの人生に向けた想いが綴られています。
「がんを生きる」患者さんにとって有益かつ実用的な内容であるとともに、医師と患者の両方の視点は、緩和ケアに携わる医療者にとっても患者心理や緩和医療現場の理解に繋がる一冊です。