悪魔と天使の二面性をもつウイルス
生命の進化の初期にいくつかのウイルスがいたことが示唆されているものの、地球にいつウイルスが出現したのかなど、大きな謎が残されています。しかし、米国のウェンデル・スタンリー博士がタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、電子顕微鏡によってウイルスを初めて可視化した1935年以来、ウイルス学は目覚ましい進展を見せ、ウイルスのふるまいについて多くのことがわかってきています。
ウイルスには、水痘・帯状疱疹ウイルスやアデノウイルスなどの「DNAウイルス」、C型肝炎ウイルスやインフルエンザウイルス、SARS関連コロナウイルスなどの「RNAウイルス」、RNAを鋳型にして DNAを合成する逆転写酵素をもち、腫瘍ウイルスの多くが属する「レトロウイルス」といったように多様なタイプが存在し、同属のウイルスでも新型が次々と生まれています。
このようなウイルスの多様性を生み出した原動力の1つが「遺伝子変異(複製ミス)」です。一般的に、DNAウイルスは複製ミスを修復する機能がありますが、RNAウイルスにはその修復機能がないため、遺伝子変異が生じやすいと考えられています。コロナウイルスは例外的に修復機能をもっているために遺伝子変異が起こりにくいのですが、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)では次々と変異型が出現しています。たとえば欧州で発見された「D614Gウイルス」は、スパイクタンパク質の614番目のアミノ酸残基がアスパラギン酸(D)からグリシン(G)に置き換わる変異を起こしたものです。このアミノ酸置換により、スパイクタンパク質は宿主の受容体と結合しやすい立体構造をとる傾向が強まり、ウイルスの宿主細胞への侵入が容易になります。また、D614Gウイルスがさらに変異した「N501Y」という英国型、N501Yに加えて「E484K」に変異がある南アフリカ型も出現しています。
東京大学医科学研究所感染・免疫部門ウイルス感染分野教授の河岡義裕氏や米国ノースカロライナ大学などの共同研究グループが発表した報告1)では、ハムスターを用いた実験によって変異型のD614Gウイルスでは飛沫感染が早く起き、伝搬しやすいこと、試験管内の実験では変異型のほうが従来型よりも人の細胞に入る能力が3~8倍高いことが示されています。一方、どちらの型に感染したハムスターも肺炎の重症度に差はなく、従来型をもとに開発したワクチンでも、変異型に対して同じ効果が期待できるとしています。
人類にとってウイルスは厄介な存在ですが、レトロウイルスの遺伝子の断片が哺乳類の祖先のゲノムに組み込まれ、その遺伝子の機能によって胎児の成長を助ける胎盤が発達したように、ウイルスと他の生物は「共進化」というべき道のりを歩んできたことも事実です。生物にとってウイルスは、命を奪う悪魔と、生物の発達に寄与する天使の二面性をもっているのです。ウイルス学者の武村政春氏(東京理科大学理学部第一部教授)は「ヒトゲノムの40パーセントにも及ぶ塩基配列がウイルスに由来するものであることが、いったい何を意味しているのか、これからの研究で明らかになっていくであろう」と述べています2)。
- Hou YJ, et al.: Science 2020: 370; 1464-1468 DOI: 10.1126/science. abe8499
- 武村正春: 細胞とはなんだろう 「生命が宿る最小単位」のからくり; 講談社ブルーバックス