置き薬のイメージキャラクターは、なぜ天狗?
配置薬(置き薬)などのイメージキャラクターに天狗が用いられていることがあります。天狗と薬にどのような関係があるのでしょうか。
古代中国では流れ星を天狗と名づけ、天から地上に災禍をもたらす悪神として恐れていました。前4世紀~3世紀頃の中国の書『山海経』では、「天の狗」の文字通り犬に似た姿で描かれています。日本では、奈良時代に完成した『日本書紀』に初めて天狗という言葉が登場します。舒明天皇のとき(637年)、都の空を大きな星が轟音を立てて流れました。「流星の音だ」「地雷だ」と人々が言い合っていると、中国に学んだ僧がこう指摘しました。「流星ではない。これは天狗(読みはアマツキツネ)である。天狗の吠える声が雷に似ているのだ」。
この中国から伝わった天狗が、日本では独自の変化を遂げます。山で起こる怪異現象が天狗の仕業とみなされたり、平安時代や鎌倉時代には仏法を妨げる存在とされていました。一方、神仏習合の宗教である修験道とも密接にかかわってきます。
修験道は、飛鳥時代に役小角という人物が創始したとされており、日本各地の霊山での厳しい修行を通して悟りを得ることを目指します。そうした修行を行っている修験者(山伏)は、霊力を持った天狗を山の精霊として捉えるようになります。そして、修験道の寺院や修験者を守護するものとして天狗を祀るようになり、その姿も山伏の格好で描かれるようになりました。やがて、人々は修験者と天狗を同一視し、修験者がもたらした薬や医術の効力も天狗の霊力として尊ばれました。
越中富山の立山も修行の場となった霊山の1つです。立山の修験者は草などを煎じたり混ぜたりしてつくった薬を信者宅に預け、1年後に使われただけの代金を集めるという方法をとっており、これが後の「富山の置き薬」の起源になったと考えられています。また、富山と並んで大和(奈良県)も置き薬業が盛んな地域ですが、役小角が修行を積んだのは大和の山々ですから、まさに修験道や天狗のお膝元と言えるでしょう。天狗が富山や奈良の置き薬のイメージキャラクターになったのは、こうした歴史を背景にしているのです。
ちなみに、置き薬の包装箱に描かれている天狗は鼻が高く、赤い顔をしていますが、この鼻高天狗が一般の天狗のイメージとして定着していったのは、江戸時代からだといわれています。
参考文献
- 勝俣隆: 長崎大学教育学部紀要. 人文科学 2005; 71: 1-17
- 小松和彦『妖怪文化入門』角川ソフィア文庫
- 村上健司『妖怪辞典』毎日新聞社
- マエダ薬品商事株式会社HP/配置薬の歴史 http://www.sh-maeda.com/