香りで古い記憶が呼び起こされる
フランスの小説家マルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』の主人公は、マドレーヌを浸した紅茶の香りから幼少時代のあざやかな記憶が蘇ります。この描写になぞらえ、特定の香りを嗅ぐことで、その香りに結びついている記憶が呼び起こされる現象は「プルースト効果」と呼ばれるようになりました。
香りが記憶と強く関係する理由は、視覚などの他の感覚と異なり、嗅覚が独特の経路をたどって脳の中で感知されているためです。
視覚、聴覚、触覚などの感覚情報は、中継基地となる視床を経て大脳新皮質へ送られて分析されます。これに対し、嗅覚情報は、快・不快や喜怒哀楽の感情を引き起こす扁桃体、自律機能の調節を行う視床下部などを経て前頭葉の嗅覚野に送られます。扁桃体は、記憶の形成に重要な役割を果たしている海馬のすぐ近くにあり、両者は密接な情報交換を行っています。つまり、嗅覚は他の感覚よりも、よりダイレクトに情動や記憶を刺激するのです。
こうした嗅覚のメカニズムを踏まえ、アロマによる記憶力向上の効果を検証する研究が行われています。たとえば、イギリスのノーサンブリア大学で行われた実験では、ローズマリーの香りを嗅いだ人たちは何も嗅がない人たちよりもワーキングメモリー(短期記憶)のスコアが高く、この2群よりスコアが低かったのはラベンダーの香りを嗅いだ人たちでした。ローズマリーの覚醒効果、ラベンダーの鎮静効果がこの結果をもたらした、と研究グループは考察しています1)。
また鳥取大学では、認知症患者28人(内、アルツハイマー病17人)を対象に、香りによる認知機能の改善効果が検証されました。朝はローズマリー&レモンの香りを嗅いでもらい、交感神経を優位にして体や脳を活発に働かせます。夜はラベンダー&オレンジの香りを嗅いでもらい、副交感神経を優位に働かせて興奮を抑え、体と脳を休めてもらうという計画です。この方法を28日間続けた結果、認知機能(名称の記憶、図形や日時の認識など)の有意な改善がみられました2)。
このような効果が、香りを嗅いだ人の全員にもたらされるとは限りませんが、特定の香りで幸せな記憶が蘇るとしたら、ちょっとうれしいですね。
- Moss M, et al. Int J Neurosci. 2003; 113: 15-38
- Jinbo D, et al. Psychogeriatrics. 2009; 9: 173-179