現代において検査で異常がないものの、体調不良を訴える人が増えています。そのためか、健康維持を目的に食生活やライフスタイルを自然や昔のスタイルへ回帰する傾向があります。さらに、新型コロナウイルス感染症の後遺症に悩む患者さんが増加し、漢方の需要が高まっています。そこで今回、漢方薬の調剤業務に長く携わる薬剤師、北里大学東洋医学研究所の緒方千秋氏に、漢方の基本や概念、すぐに役立つ漢方薬の服薬指導について解説いただきました。
漢方は日本の伝統医学
漢方は中国(漢)から伝わった伝統医学が元になって、日本の風土や環境、日本人の体質や気質に合わせて独自に発展した日本の伝統医学です。漢から伝わった‘病を治す方法’という意味で「漢方(=漢の方法・技術)」と呼ばれるようになりました。
国内で使用されている漢方薬は中国古来の処方が多いですが、その中には日本人の体質にあわせて日本でアレンジされた処方、新たに日本で創製された処方もあります。
漢方薬の新しい剤形として、エキス製剤が1950年代から製造されるようになりました。1967年に保険適用となって以降、148種類の漢方処方が医療用漢方製剤として登場しました。現在、日本の医療は西洋医学が中心ですが、医師のほとんどが漢方薬を処方したことがある程、メジャーな医薬品となりました。
心と体は一体である 「心身一如」という考え方
漢方医学による病気の考え方に「生体観」と「心身一如(しんしんいちにょ)」があります。生体観とは人は自然の一部で、自然の恵みを活用して全体のバランスを整え、心身を病気から遠ざけるという考えです。一方、心身一如とは、心と体は一体で、心の不調が体の不調としてあらわれる、あるいは体の不調により心に不調をきたす、という考え方です。
西洋医学では所見や検査データを元に疾患名がつけられ、その疾患を取り除く治療がなされます。一方、漢方医学は検査データだけではあらわせない不調を改善する効果も期待できます。人体の臓器や組織は独立せずに互いに影響しているという概念があるからです。
実際、新型コロナウイルス感染症の後遺症である倦怠感、頭痛、不安、筋肉痛などの症状は西洋医学ではなかなか対応が難しいと考えられています。一方、漢方医学では体と心の不調を全体のバランスの崩れとして捉え、症状だけでなく体質なども考慮して、対応できるため、後遺症でお困りの患者さんが当センターを来院しています。
疾患名ではなく「証(しょう)」 人体を構成する「気・血・水(き・けつ・すい)」、症状をあらわす「八綱(はっこう)」などの概念
臨床の場で医療用漢方製剤を扱っている薬剤師の先生方は、添付文書の使用上の注意・重要な基本的注意の項に「本剤の使用にあたっては、患者の証(しょう)(体質・症状)を考慮して投与すること~」という記載を目にされたことがあるかと思います。
漢方による治療は「証」を把握することからはじまります。
「証」とは、生体にあらわれた症状・徴候であり、治療の手がかり、証拠となるものです。個々の症状を引きおこす原因を勘案した上で「証」を把握し、「証」に随って治療します。
個々の「証」を把握するための物差しとなるのが「気血水(きけつすい)」や「八綱(はっこう)」などの漢方的な概念です。これらを組み合わせて、患者さんのどこにどのような変調がおこっているか、バランスの崩れがあるかなどの「証」を導き出していきます。
気・血・水(き・けつ・すい)
「気・血・水」は漢方において身体の仕組みを知る重要な概念で、人体を構成する要素と考えています。「気」は人体を循環するエネルギーであり生命活動を営む根源です。それに対し、生命の物質的な側面を支えるのが、組織に栄養を運ぶ赤色の液体である「血」と、身体を潤す作用がある血液以外の無色な液体である「水」です。「気・血・水」の働きにより人体の生理活動は維持されていて、これらのバランスの崩れがさまざまな不都合な症状を引きおこすと考えられています(表1)。
変調 | 状態 | 症状 | 生薬 | 漢方薬 |
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気虚(ききょ) | 気が不足 | 元気がない、気力がない、倦怠感、 食欲不振など |
人参(にんじん)、黄耆(おうぎ)、甘草(かんぞう)、大棗(たいそう) | 四君子湯(しくんしとう)、六君子湯(りっくんしとう)、 補中益気湯(ほちゅうえっきとう)、小建中湯(しょうけんちゅうとう) |
気滞(きたい) | 気が停滞 | ゲップやオナラが多い、お腹が張る、 のどがつかえるなど |
陳皮(ちんぴ)、紫蘇葉(しそよう)、枳実(きじつ)、厚朴(こうぼく)、 檳榔子(びんろうじ)、香附子(こうぶし) |
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)、香蘇散(こうそさん)、 女神散(にょしんさん) |
気逆(きぎゃく) | 気が上昇 | のぼせ、下半身だけ冷える、めまい、頭痛など | 桂皮(けいひ)、呉茱萸(ごしゅゆ)、黄連(おうれん) | 桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)、桃核承気湯(とうかくじょうきとう) |
気陥(きかん) | 気が下降 | 胃下垂、脱肛、子宮脱など | 升麻(しょうま)、柴胡(さいこ) | 補中益気湯(ほちゅうえっきとう)、乙字湯(おつじとう) |
変調 | 状態 | 症状 | 生薬 | 漢方薬 |
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血虚(けっきょ) | 血が不足 | 貧血、血色不良、皮膚のかさつき、 髪が抜けるなど |
当帰(とうき)、地黄(じおう)、芍薬(しゃくやく)、川芎(せんきゅう)、 阿膠(あきょう)、艾葉(がいよう) |
四物湯(しもつとう)、十全大補湯(じゅうぜんだいほとう)、 芎帰膠艾湯(きゅうききょうがいとう) |
瘀血(おけつ) | 血が停滞 | 痛み、皮膚が黒ずむ、舌や歯茎が紫色など | 桃仁(とうにん)、牡丹皮(ぼたんぴ)、大黄(だいおう)、紅花(こうか)、 当帰(とうき)、芍薬(しゃくやく)、川芎(せんきゅう) |
桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)、桃核承気湯(とうかくじょうきとう)、 当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん) |
血熱(けつねつ) | 血が熱を持つ | 発熱、鼻出血など | 黄連(おうれん)、黄芩(おうごん)、山梔子(さんしし)、黄柏(おうばく)、知母(ちも) | 黄連解毒湯(おうれんげどくとう) |
変調 | 状態 | 症状 | 生薬 | 漢方薬 |
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津液(しんえき)不足・ 陰虚(いんきょ) |
身体の一部、または全身 の水が不足 |
声がれ、咳、肌の乾燥、口渇、皮膚の乾燥、 便秘、関節の異常など |
地黄(じおう)、麦門冬(ばくもんどう) | 八味地黄丸(はちみじおうがん)、麦門冬湯(ばくもんどうとう)、 滋陰降火湯(じいんこうかとう) |
水毒・水滞(すいたい)・ 湿(しつ)・痰(たん) |
身体の一部、または全身 の水が過剰・停滞 |
浮腫、下痢、身体が重い、頭痛、立ちくらみ、 咳、鼻水、胃がポチャポチャする、嘔吐、 下痢などの消化不良、関節の腫脹など |
茯苓(ぶくりょう)、沢瀉(たくしゃ)、白朮(びゃくじゅつ)、 蒼朮(そうじゅつ)、防已(ぼうい) |
五苓散(ごれいさん)、猪苓湯(ちょれいとう)、柴苓湯(さいれいとう)、 真武湯(しんぶとう)、防已黄耆湯(ぼういおうぎとう) |
緒方氏の話をもとに作成
八綱(はっこう)
八綱は、基礎体力や体質、病状を表現するための8つの概念です。四診(ししん)により得られた情報から八綱の分類を組み合わせて、患者さんの「証」を表現します(表2)。
陰(いん)・陽(よう) | 陰と陽はお互いにバランスをとるように作用し、このバランスが崩れると病気になる。「陰」は夜間や安静、睡眠など、「陽」は昼間の活動、運動などをさす。 |
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表(ひょう)・裏(り) | 病気の侵入が身体の表面部にある場合は「表証」、内部に侵入した場合を「裏証」という。咽頭やのどなどその中間に位置する場合には「半表半裏」と表現される。 |
寒(かん)・熱(ねつ) | 悪寒などの冷えがある場合は「寒証」、発熱や炎症を伴う場合は「熱証」とする。 |
虚(きょ)・実(じつ) | 慢性的に抵抗力が低下し気力や体力が衰えている場合を「虚証」、急性的で抵抗力があり、気力体力が衰えていない場合を「実証」という。 |
例:病位が身体の表面にあり、発熱を伴うが体力、気力がある「表熱実証」病位が身体の表面にあるが、熱性はなく、虚弱な体質である「表寒虚証」など
緒方氏の話をもとに作成
漢方の独特な診察方法(四診) 五感を駆使する
漢方独自の診察方法としては、聞く(問診)、見る(望診)、嗅ぐ(聞診)、触る(切診)の四診が基本となります。医師は味覚以外の五感(官)を駆使して診察を行い、様々な分析方法を組み合わせ「証」を把握します(表3)。
問診 | 症状が悪化するタイミングや時間、気圧や気温、湿度などの気候との関係、対人関係など、様々な情報を聞く。診察の前にまずは問診票を活用して様々な情報を得るが、問診票の文字の大きさや筆圧なども参考にする。 |
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望診(ぼうしん) | 体格、動作や姿勢、顔色、表情、皮膚や毛髪の状態などを視覚的に観察する。漢方では、舌の状態を診る舌診が重要視されている。舌の色や形状、潤い、舌苔の色や厚さ、潤い、舌裏の血管などを観察することで身体全体のバランスの乱れを知る。 |
聞診(ぶんしん) | 患者さんの呼吸や声などの音を聞く。また、「香を聞く」と同じ意味で体臭や口臭などの臭いを嗅ぐことも聞診に含まれる。便臭や尿臭などは問診から情報を得る。 |
切診(せっしん) | 切診とは患者さんに直接触れる診察方法で、脈を診る脈診と腹部の状態を診る腹診がある。西洋医学でも脈拍数や不整脈の有無などを確認するが、漢方の脈診では、脈の深さや速さ、強さや勢いなどを含めた脈の状態を総合的に確認する。また、腹診では腹力の強弱、両側の肋骨弓の下に圧痛と抵抗を認める胸脇苦満(きょうきょうくまん)、心窩部の抵抗や軽度圧痛を認める心下痞鞭(しんかひこう)、腹部動悸、腹満、下腹部に圧痛のある瘀血(おけつ)、胃の中に過剰な水分が貯留している胃内滞水(いないていすい)、臍の下に力が入らず軟弱無力になる臍下不仁(さいかふじん)の有無などを確認する。 |
緒方氏の話をもとに作成
舌診による典型的な証
❶の正常な舌に比べて❷は舌全体が胖大し、歯痕(歯形)があるため「水毒」、さらに皺裂があるため「気虚」の証である。❸の白苔は「寒証」、黄色がかると❹の「熱証」になる。❺の舌淵にある紫色の点(瘀点)、❻の舌下静脈の膨らみは、いずれも血の循環が停滞している「瘀血」の証と考えられる。
腹診は日本で発達した切診の方法で、問診、望診、聞診で捉えた「証」を腹診で確認し、最終的に患者さんの「証」を把握し治療へと結びつけていきます。薬剤師は患者さんの身体に触れる切診はできませんので、漢方を専門とする漢方薬局の薬剤師の中には、患者さんの身体に触れることができる鍼灸師の免許を取得する方も多くいます。
患者さんに、診察の際は味や香り、色の強い飲食物、厚化粧などを避けていただきます。望診や聞診に影響を及ぼす可能性があります。
漢方薬の作用分類 取り除くのか、補うのか 温めるのか、冷やすのか
漢方では、身体は絶えず変化し、環境の変化に対応できる状態を健康と考えています。人の体と心は、食事や季節、対人関係、加齢、疲れ、ストレスなど、体の内外からさまざまな影響を受けます。影響(邪気)に対応できる力(正気)があれば健康が維持され、逆に邪気に正気が負けてしまった状態が健康を害した状態であると考えられています。
健康を維持するために、邪などの不要なものを取り除く(瀉す(しゃす))、または気などの足りないものを補う、などの漢方の治療原則が実践されています。また「瀉す(しゃす)」と「補う」の中間的な役割(和剤)、さらには巡らす、上げる、下げる、温める、冷ますなど作用をもつ漢方薬があります(表4)。
瀉剤(しゃざい) (不要なものを取り除く) |
発汗(はっかん)剤 | 急性熱性疾患の初期に重要な治療法。 桂枝湯(けいしとう)、葛根湯(かっこんとう)、小青竜湯(しょうせいりゅうとう)など。 |
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