「かゆみでは死なない」。このような認識からかゆみは痛みより軽視され、研究も大きく遅れをとっていました。しかし、痛みとは別にかゆみの神経伝達経路があることが発見されたことでかゆみ研究が進み、かゆみの発生メカニズムが徐々に明らかになってきました。順天堂かゆみ研究センターでかゆみ研究に携わる冨永光俊氏に現在までにわかっている知見について解説いただきました。
かゆみは生体の防御機構
かゆみは皮膚や目、口、喉などにある一部の粘膜で生じます。本来、かゆみは皮膚についた虫などの外敵や異物を除去するために引っ掻き行動を促す生理的感覚で、生体防御機構の一つです。定義的には、ひっかきたくなるような不快な感覚、とされていますが、「ひっかく」というのは異物を取り除こうとする生理的な行為です。
かゆみに関しては、長い間「痛みの弱い感覚であり、痛みと同じ神経を伝わって生じている(閾値説)」と考えられており、痛みのことを研究すれば自ずとかゆみのメカニズムも理解できると考えられていたことから、痛みに比べてかゆみを研究することは軽視されてきました。
しかし、1997年にドイツの麻酔科医が、痛みとは別にかゆみを伝える感覚神経線維(C線維)が存在することを発見、さらに2007年に、脊髄後角においてガストリン放出ペプチド(GRP)/GRP受容体がかゆみ感覚だけを伝達することが発見されたことを契機に、かゆみの神経学および分子生物学的研究は大きく進展しました。
壮絶なかゆみ症状 QOLが大きく低下
近年の世界的なかゆみ研究の進展に伴い、「かゆみは痛みより大きな苦痛をもたらす」という認識が少しずつ浸透しつつあります。持続的なかゆみの存在は、就眠や就学、就業などの日常生活に支障を来たしQOLを大きく低下させ、それによる社会的な経済損失は非常に大きいと考えられます。
さらなる研究推進のために、2019年に順天堂かゆみ研究センターが開設されました。かゆみに特化した専門研究拠点は世界的に見ても数少なく、世界で7番目、アジアでは初の研究施設です。
順天堂大学大学医学部附属浦安病院の皮膚科には、日本全国から様々な治療を受けても一向にかゆみが改善せず長年苦しんで来た患者さんが多く訪れます。多くの患者さんは「かゆみのない日は1日もない」「痛みより辛い」といった状況で、熊手やナイフのような金属でかかないといられないほどの壮絶なかゆみと戦っている患者さんもいます。いかに激しいかゆみによる精神的苦痛が大きいかが想像できます。
写真 壮絶なかゆみと戦う患者
激しいかゆみのために、熊手を使う患者(左)とナイフのような金属を使う患者(右)
末梢でのかゆみの伝達経路
かゆみが脳に伝達される仕組みを図に示します(図1)。
図1 かゆみが脳に伝達される仕組み(末梢性)
かゆみはC線維を介して情報が脊髄後角に入力され、その後、脊髄上行路を経て脳のかゆみに関連する部位に信号が伝わることで生じている。
かゆみを伝達するC線維の末端(神経終末)は、皮膚の表皮と真皮の境界部近くに存在しており、皮膚の表面が外界からの刺激を受け炎症が惹起されると、ケラチノサイトや真皮に存在する肥満細胞や好酸球、T細胞などの免疫細胞から、かゆみを引き起こすかゆみメディエーターが放出される。このかゆみメディエーターが、神経終末の受容体に結合することで、神経線維を伝わって脳にかゆみ信号が伝達される。
痛みとかゆみの伝達経路と痛みによる鎮痒の仕組み
皮膚に分布する感覚神経線維には、A線維(α~δの4種類)、B線維、C線維があり、急性の痛みはAδ線維(鈍痛はC線維)、かゆみは主にC線維(一部Aδ線維)を経由して伝達されています。つまり、C線維は痛み(鈍痛)とかゆみを伝達していることになります。これについては、いくつか学説がありますが、現在はC線維の中にもかゆみと痛みを伝える神経が別々に存在していると考えられています。
また、最近の研究では、痛みによってかゆみが弱まる機構が働くことも報告されています(図2)。ただし、かいてもかいてもかゆみが続き、中には皮膚を激しく損傷してもなおかき続けてしまうケースもあります。これは、痛みによる鎮痒の仕組みに異常があることが推測されます。
図2 痛みによる鎮痒の仕組み
かゆみのシグナルが脳に伝達されかゆみを感じると、皮膚をひっかく行動が出現する。ひっかくことで今度は次第に痛みが生じる。痛みを感じるためひっかくことを止めると、今度はかゆみが収まってくる。
これは、かゆいところをかくと、痛みの神経回路が活性化しGABAやグリシンなどの神経伝達物質が分泌され、かゆみの神経回路の活動を抑制するためと考えられている。つまり、痛みによってかゆみが弱まる機構が働く。
イッチ・スクラッチ・サイクル
皮膚や一部の粘膜は、乾燥を防いだり外部からの異物の侵入を防いだりする「生体バリア」として機能しています。かゆさを感じた部位をかき過ぎることで、皮膚のバリア破壊が生じます。それにより湿疹などの皮膚トラブルが悪化し、わずかな刺激にも反応してかゆみが起こりやすくなる「イッチ・スクラッチ・サイクル(かゆみと掻破の悪循環」が形成されます。
この起点となるのが環境的な要因や遺伝的な要因によるバリア機能の低下(ドライスキン)です。皮膚バリアの障害が起こると、アレルゲンや刺激物などの外部異物が生体内への侵入が容易になり、かゆみメディエーターの放出が増加し、炎症が増悪することでますますかゆみが増し、バリア破壊が進展してしまうという悪循環に陥ってしまうのです。
皮膚バリアの破壊に伴う 神経線維(C線維)の表皮内侵入
ドライスキンでかゆみが生じる原因として、神経線維(C線維)の表皮内侵入があげられます。
正常な皮膚では、神経の終末は図1のように表皮と真皮の境界部に存在していますが、皮膚バリアが破壊した皮膚では角質の直下にまで神経線維が侵入していることがわかっています。そのためにかゆみの閾値が低下し、軽度の刺激でも容易にかゆみが惹起されます。
このC線維の表皮内侵入には、神経を伸長させる神経伸長因子と神経伸長を抑制する神経反発因子が関与しています。ドライスキンを呈する皮膚ではNGFなどの神経伸長因子の発現が増加し、セマフォリン3A(Sema3A)などの神経反発因子の発現が低下していることがわかっています。この表皮内への神経伸長は、保湿剤外用や紫外線療法で抑制され、それに伴いかゆみも抑制されることが示されています。
ヒスタミンだけではない 多様なかゆみメディエーター
かゆみ発生の起点となる「かゆみメディエーター」として古くから知られているのがヒスタミンです。肥満細胞などから放出されるヒスタミンは、ひと昔前まではかゆみを引き起こすことが唯一同定されている物質でした。そのため、長らく抗ヒスタミン薬のみがかゆみの薬という状況が続いていました。
しかし、実臨床では抗ヒスタミン薬が効かないかゆみが多いのも実情でした。近年のかゆみ研究の進展でヒスタミン以外にも様々なかゆみメディエーターがあることがわかってきました。現在は、神経ペプチドや脂質メディエーター、各種サイトカインなど、約40種類の「かゆみメディエーター」の存在が明らかになってきました(表1)。
主なかゆみメディエーター | |
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アミン類 | ヒスタミン、5-HT(セロトニン) |