生物界全体をみわたすと、寿命があるものはむしろ少数派
死や寿命にまつわる神話は、世界各地でみられます。東南アジアなどでは、神話のなかに共通してバナナが登場することから、「バナナ型神話」と呼ばれており、次のようなストーリーが展開されます。
あるとき、神が人間に対して石とバナナを示し、どちらか1つを選ぶように命じた。人間は、食べられない石よりも食べることのできるバナナを選ぶ。実は、硬く変質しない石は不老不死の象徴であり、石を選んでいれば人間は永遠の命を手に入れることができたのだ。しかし、バナナを選んでしまったために、バナナのようにもろく腐りやすい体になって、人間は死ぬようになった──。
人間以外の哺乳類や鳥類、魚類などの動物には必ず死が訪れますが、太古の原始生命には寿命というものはありませんでした。現在でも、生物界全体をみわたすと、寿命があるものはむしろ少数派で、動物の中でも海綿動物や腔腸動物、扁形動物では寿命のないものも多くいます。たとえば、腔腸動物であるクラゲの一種のベニクラゲは老化すると海底の岩などに付着し、「ポリプ」という幼生の状態になります。つまり、赤ちゃんに若返って新たな成長を始めるわけです。こうしたサイクルを繰り返すことで、ベニクラゲは他の生物に捕食されない限り、死ぬことはありません。
甲殻類のロブスターも、理論的には不死といえます。脱皮する際、他の甲殻類は外骨格だけが新しいものに変わりますが、ロブスターは内臓まで新しいものに変わるのです。脱皮を繰り返せば老いることはないのですが、脱皮時に天敵から襲われることが多いようです。
なぜ動物が、寿命=死というシステムを取り入れるようになったのか。さまざまな説がありますが、動物が大型化すると環境の変化に弱くなるため、古い個体がずっと生き続けるよりは、新しい環境に適応できるものが生まれてくるほうが種の繁栄に適っていたのではないか、という考え方が示されています。ただし、科学技術の進歩によって、人類は不老不死という古来追い求めていた夢を実現するかもしれません。
米国の小説家ケン・リュウが、不老不死をテーマにした「波」1)と題する短編を著しています。舞台は、人類が居住可能な惑星を目指している宇宙船。目的地の惑星があまりに遠いため、世代交代を繰り返しながら400年後に子孫を到着させる計画でした。そこに、地球から不老不死を実現する技術が届けられます。しかし、年老いた親は亡くなっていくことを前提としており、食料は限られた分量しか積み込んでいません。本来であれば、まず親の世代が不死となり、子どもたちは成長したのちに不死となるのが望ましいのですが、それだと大人の数が増えすぎて食料は尽きてしまいます。そのため、親が不死となるなら、子どもはずっと子どものままで不死となる道しか残されませんでした。次の世代の成長のために、親の世代は年老いて死ぬべきか否か──。
さて、こうしたSFが現実のものとなったとき、人類はどのような選択をするでしょうか?
- ケン・リュウ著, 古沢嘉通訳『もののあはれ』早川書房, 2017年